東海道。江戸時代の人は約500kmの道のりを徒歩で旅したらしい。令和に生きる私はその道を自転車で。とはいっても一気に500km進む体力と時間はまだない。
今回は日本橋から小田原まで旅をした報告である。
↑小田原城を目指した
東海道とは?
東海道とは、江戸時代に日本橋から京都の三条大橋までを結んだ約500kmの道のり。途中で船を使わなければいかない箇所もある。
現代においては、国道1号線が東海道とほぼ同じルートを辿っているが、バイパスとなっているところばかりで、江戸時代当時の街道は旧街道となっている。
バイパスは基本的に自転車走行禁止である。禁止でなくても、片道三車線でトラックが行き交うような道路。
あまり走りたくないなぁ…..。
頼りになるのはインターネット。偉大なる先人は旧東海道のルートを解説してくれている。
しかし、それは徒歩ルートだった。そこで、先人の準備してくれたルートを頼りにしながら、自転車で旧街道を進んでみようという楽しみ企画である。
旧東海道サイクリングのルール
サイクリングを楽しみたい。
同時に街道の趣を堪能したい。
そういうわがままなサイクリング企画なので、厳密に旧東海道をなぞらないことにした。
できる限り、なぞる。でも、サイクリングで間違えてもUターンしたりはしない。
また、すぐに国道1号線に復帰するような場合も車の流れにのっている場合は強引に旧東海道にはいらないことにする。
日本橋〜品川
いよいよ、日本橋を出発である。ちょっとだけ緊張。
↑日本橋にて
日本橋は歴史ある場所なのにイマイチ盛り上がらない。それは橋の上に高速道路がかかっているから。
近い将来に高速道路は地下に潜るらしいが、いつになるのかな。
朝のラッシュも終わった感じで、道は静か。買い物にはまだ早い時間だったので、街は静かである。
それにしても多いのが信号である。100mおきに信号で停止している感覚で、全然前にすすまない。
↑信号停止がつづく
何度もストップアンドゴーをした。30回くらい?
感覚的に止まりまくっている印象。
ストップアンドゴーでほとほと疲れたところで、品川宿に到着。北品川周辺で、宿場町の賑わいを今も残していた。
道幅も拡張されていないで、往年の様子を感じることができる狭い道路がクネクネとつづく。これは面白い旅になりそうだ。
↑品川宿の記録あり
↑品川橋にて
↑道もペイントされていて宿場ぽい感じ?!
品川〜川崎
品川宿をすぎると、次は川崎。
国道15号線(第一京浜)を走らなければいけない区間もあるが、ずっと国道を進むよりは楽な気がする。
この区間のハイライトはなんといっても多摩川にかかる六郷橋。
↑多摩川を越えて神奈川県へ
明治時代初期までは橋がかかっていなかったので、船移動だった。
明治天皇が東京入りするときは船を並べて道としたらしい。
橋を渡ると神奈川県。すなわち、川崎宿へと到着。
川崎〜神奈川〜保土ヶ谷
驚きだったのが川崎宿である。今も栄える街ですっかり宿場町の面影がないかと思いきや、
「川崎宿です!」
とアピールしているところが多い。旧街道沿いには旗がたなびいていた。街はいつもと変わらず賑わっていて、旧東海道サイクリングをしていなければ、意識も向けなかった。
↑川崎宿を宣伝している
↑銀杏並木が綺麗
ほら、そこを歩いているサラリーマンよ、お前は今、旧東海道を闊歩しているんだぞ!
と教えてあげたいくらい、周囲の人は意識していないようだ。
意識していないといえば、生麦。
幕末の生麦事件で有名なところ。しかし、殺害現場は民家にかかるプラカード1枚、さらに記念碑は見落としてしまった。
↑民家にある生麦事件の案内
ついでに神奈川宿はどこが中心かもわからなかった汗
しかし、坂本龍馬の奥さん、おりょうさんが働いていたと言われる老舗料亭田中家は通ったよ!
↑坂道にある料亭、田中家。
保土ヶ谷〜権太坂〜戸塚〜藤沢
保土ヶ谷も旧東海道を意識した街並みだった。駅前に記念碑があったり、旧東海道のルートを示す看板があったり、旅籠屋が保存されていたりする。
↑駅前は整備されていた
↑旅籠屋
しばらく進むと、箱根駅伝2区のゲキサカで有名な権太坂
この坂はきついけど、なんというの?
はぁ〜、私の名前は権太だよ。
という旅人とボケ老人の会話が名前の由来らしい。日本橋スタートだと最初の坂だが、今までのヒルクライムに比べれば、余裕だった。
坂上からは海景色が見えた。。。のは江戸時代だけで今は住宅街しかみえない。
↑ヒルクライムおわり
↑坂上には神社と境木あり
↑餅が銘菓らしい。おいしかった。
権太坂を一気に降って戸塚へ。宿場町の面影全くなし。おそらく宿場町の中心がJR戸塚駅となってしまっているのだろう。
残念。
藤沢〜平塚
↑藤沢にて
藤沢に到着する頃にはけっこう疲労を感じるようになってきた。50kmを過ぎたあたりから、左足が痛くてペダリングが辛かったのだ。
予定外だが、藤沢でちょっと休息した。
藤沢は、宿場町を保存しようという雰囲気を強く感じる街並み。道路沿いにある商店街、看板。昔と変わらないクランクになっている道。観光センターもあった。
↑近くには源義経の首塚もある
どうやら、旧東海道の宿場町は忘れられている町と、保存しようとしている町と両極端であるようだ。
各自治体ごとに観光資源として歴史を保全しようとしているかどうかの温度差を感じずにはいられない。
藤沢を過ぎて次の宿場町である平塚の手前、茅ヶ崎のあたりから、松並木が増えてくる。
↑どうやら街道沿いに植林されているようだ。
昔ながらの道幅で両端が松並木というのは江戸時代を感じさせる風景でとても楽しめる。
平塚〜大磯〜小田原
平塚の宿場町は国道1号線から少し外れてしまう。そのため、今回は訪問をあきらめた。代わりに訪れたのが国道沿いにある大神宮。壮大な場所だった。
↑池の中に鳥居
↑ポニーかな?
↑入り口で記念撮影
平塚宿の次は大磯宿。これといった記念碑は見つけることができず。もしかしたら、駅前にあったのかもしれない。
しかし、すでに100km以上サイクリングをしていたので、寄り道をする気力がなかった。
ただ、この界隈までくると、車の通りがずいぶんと少なくなる。いつのまにか道路が静かで、コンビニも少なめで、なんだか落ち着いてくる。
大磯まで来ると街の空気が違うのだ。魚屋も多い。
ぜひ、再訪して海の幸を堪能してみたい場所である。
↑そして、いよいよ目的地である小田原到着。
↑海が見える、綺麗
小田原城のベストショットを求めて
小田原といえばお城である。
北条氏五代が築き上げたお城。歴史好き、城好きの私としては気分が高揚してくる。
しかし、現地到着をしたのは4pm過ぎ。
まもなく夕暮れ。
観光ガイドと思しき人に声をかけてみると、
お城の入場は4:30までだなぁ〜。天守閣を撮影?松の木に隠れてそういうことができるところはないなぁ〜。あ、場内は自転車ダメだから。
とのことで、気分が盛り下がる。
自分で、写真撮影スポット探すから、もういいし!
と、お城の周りをサイクリング。
ベストスポットを探しているうちに、あたりは夕闇に包まれてしまった。
↑悪くない場所を発見!
先ほどのガイドさんに「ドヤーーーー!」とこの写真を見せて小さな勝利を手に入れる。
なんだかんだとガイドさんから現地情報を手に入れた結論は
寄り道しないで帰路につく!
だったw
小田原に滞在すること1時間弱。
東海道を走ってみて
言われなければわからない住宅街の道も、東海道といわれると、途端に昔の旅人の往来を感じてしまう。不思議。
東海道は小田原が終点ではない。53の宿場町がある。
いつか終点の京都、三条大橋までいくことができるだろうか。
今日も『自転車でGo.com』にお越しいただきありがとうございます。今回参考にした地図はこちら。先人の努力に感謝。
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